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1927年大分県別府市生まれ。
九州大学医学部を卒業後、同大学整形外科医局に入局。
当時未開の分野であった医学的リハビリテーション研究の道に進みました。
「身体障害者に最も有効な治療法はスポーツである」という考えを持つ英国のL・グッドマン博士との出会いをきっかけに、身体障がい者の社会参加、特に自立とスポーツにその生涯を捧げることになりました。
障がい者は保護するばかりではなく、仕事を持ち自立することが最も必要であると考え、「世に身心障がい者(児)はあっても仕事に障害はあり得ない」という信念のもと、1965年太陽の家を創設。
障がい者が働く場を作ろうと数々の企業に足を運んだ結果、オムロン株式会社の立石一真氏の協力により、1972年共同出資のオムロン太陽電機株式会社が誕生。その後も大手企業と共同出資会社を設立し、障がい者の社会復帰に大きく貢献しました。
1900年熊本市生まれ。
熊本高等工業学校(現熊本大学工学部)の電気科第一部電気化学を卒業後、数々の経験を積み、アメリカで開発された“誘導形保護継電器”の国産化開発に取り組みました。このとき身につけた技術が、立石電機(現オムロン)創業の基礎となっています。
1971年、福祉法人太陽の家創設者の中村裕博士と作家の秋山ちえ子さんから、重度身体障がい者の社会復帰のための専門工場建設、運営の援助依頼を受けました。
ちょうど日本経済に大打撃を与えたドルショックの直後で難しい問題でしたが、常に易きにつかず、難きに挑戦するという性から「オムロン太陽電機株式会社」の設立を引き受けることにしました。
そして1985年には、京都オムロン太陽電機株式会社を設立。
「よりよい社会をつくりましょう」という社憲の精神は、今もなお引き継がれています。